島と暮らす SHIMA to LIFE 島と暮らす SHIMA to LIFE

1玉ねぎの歴史
History

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古代エジプトからの貴重な栄養源Nutrient source

中央アジアにルーツを持つ玉ねぎは、古代エジプト時代にはすでに貴重な栄養源となっていました。日本に入ってきたのは、明治初期。北海道と泉州、2つのルートで持ち込まれたとされています。

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淡路島では大正時代から栽培Cultivation

淡路の玉ねぎの生産は、泉州の玉ねぎの栽培技術を導入。大正の初め頃から栽培を行うようになりました。昭和に入ると、淡路島南部に広がる三原平野を中心に生産規模が拡大。戦後さらに栽培技術を高め、昭和39年には収穫面積・単位収量で全国平均を大きく上回るようになりました。日本一の生産額を誇る産地となったのはこの頃です。

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おいしい玉ねぎが育つ一大産地After harvest

現在では淡路島を代表する食材になった玉ねぎ。数ある産地のなかでも淡路島産は特においしいと人気ですが、その理由は島ならではの気候と風土にあります。1つは、日照時間が長く温暖な瀬戸内海式気候であること、周囲を海に囲まれているため気温も安定しています。2つめは、水はけが良く肥沃な土壌であること。なかでも玉ねぎの一大産地である三原平野には、砂壌中心で水はけが良く、玉ねぎ栽培に適した肥沃な土壌が広がっています。こうした条件が質の良い玉ねぎを育てる一方、生産者の努力によってじっくりと時間をかけて育てられているのも淡路島産の特長。恵まれた環境で時間と手間をかけてつくられていることが淡路島産玉ねぎのおいしさの理由なのです。

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